希望の灯り

夜更かしして 映画を見てばかり。


ドイツ映画を続けて二本。

「僕たちは希望という名の列車に乗った」

「希望の灯り」


鑑賞後の印象は「僕たちは~」の方が強くて
(なんせ、旧東ドイツの異分子あぶり出しの舞台が高校だもの…
ほとんど魔女裁判…
ホント、ドキドキした)

「希望の灯り」は ぼや~っ とした感触だった。


セリフのヘンな間とか

煙草の吸い方がハードボイルドとか

サントラが絶妙に浮いてる、とか

出てくる人が みんな憎めない人、とか

いたるところにカウリスマキ愛を感じたくらいで。


ただ 東西ドイツ、そしてベルリンの壁を思うとき

ボディブロウのように キいてくるんですよ。

この「希望の灯り」。



舞台は ベルリンの壁崩壊後(恐らく間もない)の

東ドイツのスーパーマーケット。


大量に搬入された西側の食品が

天井まで届きそうな商品棚にガンガン並べられて

賞味期限が切れたものは ガンガン廃棄される。

まだまだ食べられる状態でも。



旧東ドイツ時代を生きてきた店員たちは

そんな大きな変化の波に 抗うことなく

淡々と その日を生きている。



けれど ある夜

ひとりが 言うのですよ。

ぽつり と。

「あの頃はよかった」 


あの頃、というのは 旧東ドイツ時代。

その言葉を遺して

彼は自殺をしてしまいます。


ベルリンの壁が崩壊して

ソ連の圧力から解放されて 人びとは自由を手に入れた

ワタクシも 当初、喜ばしい面しか見えてなかった。

西側の社会システム、資本主義、

そういったものは 「便利」で「合理的」だったかもしれない。


けれども

「不便」で「不合理」だったからこそ

つながって生きてきた旧東ドイツの人びとの生活を

分断してしまった。


旧東ドイツに住んでいた人が こんなことを言ってました。

「旧東ドイツ時代は自由はなかったけれども

飢える人はいなかった」


ちょっと 話が飛びますが

自由経済、競争社会

そういうものがもたらす歪み。

それが 「自己責任」で処理されてしまう社会。

そんなの おかしい と思うし

いろいろ 悲しい。

本当に 悲しい。



もはや牧歌的とも言えるペースで話が進み

社会問題を提起しているようにはとても見えないけれども

鑑賞後 時間が経つほどじわじわくる

そんな映画です。


劇中にフォークリフト運転シーンがたくさん出てきます。

運転したくなります。
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